皆さん、こんにちは。
hikoです。
今回は十二弟子・KAWATAさんの証を読んで、神様への想いが湧いてきたのでここに記そうと思います。
聖書の中に書かれている病人を癒す部分を初めて読んだときに、私は自分の体を巣食う不治の病(クローン病)が完全に癒される可能性があることを知り、とても驚きました。
神様の権威やイエス・キリストという存在、信仰の真髄などを知らない時に『手を翳す』というアクションにすら力の開放が関係していると思い、さながらアニメのような印象を持ちました。
手を翳す気功を受けて病気を治そうとした時期もあったため、そのような力が存在することは実体験として把握しています。
ですから、癒す力の存在が嘘偽りではないが聖書の神様はどれほどの力があるのだろうか…と、当初は頓珍漢な疑問を抱いていました。
その疑問も分かる日が来ると信じて、神様のして欲しいことに最優先で従う日々を送り続けました。
従ううちに何か得られる感覚があり、聖書が私の体に染み渡っていきました。
今、思うことをそのまま書いてみます。
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悟りは報酬。
権能は信頼。
行いは従順。
互いのために、全てを話し、全てを託し、想いを重ねていくことが神様に委ねるということ。
癒しの力は神様の権威と存在の証。
微塵の疑いもない信仰により、救いを得られることは神の哀れみゆえ。
手を翳す行為が本質ではなく、人間が語り継ぎやすいように分かりやすいように表現してくださった。
神様は言葉から感じるもの。
癒すかどうかは神様がお決めになること。
【あなたの信仰があなたを救った】という聖書の一文が成就されるために。
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病人はどうしても目先にある完全な癒しが目に飛び込んできます。
手を翳せばいいのだろうか。
想いを強く抱けばいいのだろうか。
信じると言えばいいのだろうか。
と、人間は目先に囚われる。
私も当初はこのような心の焦りに囚われました。
信仰を持とうとする段階で必要な疑問だったことは間違いないですが今思えば、真理からは程遠く、思い出すと恥ずかしさが込み上げてきます。
元々、私は思考回路が稚拙です。
ですから、昔から分からないことは考えないタイプです。分かりたいことだけを考えます。
『神様が好きってなんだろうか。』
神様との関係性が私にとって分かりたいことでした。
神様の望むことを知る。
そして、行う。
その報酬として、私は多くを悟らせて頂きました。
神様は私に必要なことを分からせて下さいます。
ですから、神様と関係の無いものに対して私は興味が湧きません。
ただ、神様の愛ゆえに。
そして、神様を大事にしたいという想いゆえに悟りが与えられています。
『天に富を積みなさい。』とRAPTさんを通して、神様が語って下さっています。
義を行うことで天に富が積まれたら、自分が変わっていくのを感じます。
良い方向へ。
分からないことが分かるようになり、理解したいことが理解できるようになりました。
それに付随して知ろうともしなかったことさえ、分かるようになってきました。
神様は知恵の根源。
愛が全てに紐付いていきます。
考えた結果ではなく、与えられた結果だと証することが恩返し。
そう聖書に書かれていると、正しく理解できて嬉しかった。
私がなりたい頭の良い人は、神様を一筋に想う愛の人がなれると知りました。
癒しの本質は、自らの霊体を神のように作ること。
治すとは、新たになるということ。
聖書に書かれてある『完全になりなさい。』という一文に集約されています。
肉体は治ろうと勝手に努力するようにプログラムされています。
霊体は自らの心の在り方が問題です。
心を創り主のように清く、真っ直ぐに戻すことが癒されるために必要なこと。
あなたの心があなたを蝕んでいます。
私は病に罹った時に、不甲斐ない自分を心の中で殺してやろうと思っていました。
自責は必要ありません。
人間には自分を裁く権能すら与えられていない。
ただ過ちに対する赦しを請うことが正しい行いでした。
祈りは気休めではありません。
祈りは叶います。
神様の望むことは人間を幸せにします。
このように正しい学びが私を癒しました。
アニメのように傷が完全に修復された訳ではありません。
問題は見えるところには無かった。
見えない部分を治すことが必要でした。
考え自体に問題がありました。
心と体は密接に関係することを病に罹ることで大いに体験できました。
今ではクローン病の症状は無くなりました。
便通も安定し、活力に漲っています。
ただ、傷付いた体は今でも持ち併せています。
レミケードという薬も投薬しています。
この薬を辞めても問題が無いかは、今の私には分かりません。
だから、完全を目指してただ一筋に神様に従う道を歩んでいけば、分かる日が来ると信じています。
ただ主眼は、神様の望みを見据えて真理を求めて生きること、それに尽きます。