皆さん、こんにちは。
hikoです。
今回は【幸せの言語化】と題して、素晴らしい教育者のエピソードを基にお話しします。
Twitterの投稿で『風船を用いて利他的な愛を教える』というツイートに出会いました。
その時にここに神様の愛も付け加えたいという考えが過ったので、ブログに書き留めたいと思います。
神様の愛を語るうえで一番最初にお伝えしたいことは、神様ほど利他的な方はいないということです。
2021年11月26日(金)
愛にも次元があり、神様はこの世で最も利他的で、最も高次元の愛を持っている。だからこそ神様は神になることができた。そして、私たち人間も神様と同じ次元の愛で神を愛し、人類を愛してこそ全ての苦痛から解放され、人生が祝福に満たされていく。
https://rapt-neo.com/?page_id=55779
神様を例えるには、この世にある『絶対に変わらないルール』に例えると分かり易くなります。
今回は風船と空気の関係から話しを広げていきたいと思います。
風船は空気を入れなければ浮く事ができません。
これは一人一人が神様の力を受けなければ、存在する事が出来ないことに置き換えることができます。
それは全ての人に空気が平等に働くように神様の力も平等に働くという点です。
ただその恩恵を強く感じる人も居れば、弱く感じる人もいます。
多くの空気を入れた風船が大きくなるように、少しの空気を入れた風船が小さくなるように、人それぞれ受ける恩恵には差が出てきます。
それは多くを受け入れるには多くを知る必要があり、実際に多くを得るためには知ったことを行い実践しなければならないからです。
風船と空気の関係性を神様の愛を受けることに置き換えたわけですが、目に見えない世界を重要視することが更なる幸せを理解する第一歩となります。
利他的な行いの最たる方は、神様です。
友達の風船を探すという利他的な行いが愛だと理解できたら、次はその愛の本体を理解することが知恵です。
なぜ人間は利他的に行うと愛を感じるのか…それは人間を創った方が利他的な行いで愛を示してくれるからです。
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(創世記1章27節)
神は自分のかたちに人を創造された。
すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
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誰もが愛を得るために行動します。
ただその方法がともすると、神様の決めたルールから逸脱してしまうから不幸になってしまうと知ったら皆さんはどうするでしょうか。
現状に満足していたとしても、さらに幸せになれると言われたらあなたは怒りますか?
それとも、「それはどうするのか?」と幸せを求めるでしょうか。
人間に対してすら利他的な行いに愛を感じるなら、神様に対して利他的な行いをしたらどれ程の恵みがやってくるでしょうか。
私はRAPTブログに出会うまで、神様が人間と愛を成したいと思っているなんて知りませんでした。
神様の愛はこの地球に溢れているのに気付くことが出来ませんでした。
どんな現象にも盲目でした。
雨が降る事が当たり前。
暖かい陽気を浴びる事が当たり前。
美味しい食事を頂くことが当たり前。
春夏秋冬が滞りなくやってくることが当たり前。
人間が五体満足で生まれてくるのが当たり前。
挙げれば切りがないほどに、人間にコントロール出来るものなんて無いことに気付きます。
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(マタイによる福音書5章33〜37節)
また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。
また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。
また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。
あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。
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【目に見えないけど、確実に有る】
神様は【私はあるという者】だと仰いました。
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(出エジプト記3章14節)
神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。
『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。
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神様は居たんだと理解した時に、この世界は神様の利他的な行いに溢れていることを全身で感じることになります。
人間は利他的に行うとより早く幸せに到達することを、この風船を用いたエピソードからも論理的に理解できます。
そこへさらにこの世の根源である利他的な行いの本体に気付くことで、これまで目に見えない部分の全てに意図があると気付きます。
目に見えないというより気付かなかったとも言えますが、神様のことをRAPTさんは誰にでも分かり易く教えて下さっています。
RAPTさんは仰います。
小学生にでも分かるように話すことができるのが真理であると。
その言葉通りに私は5歳の我が子にこの世のカラクリを説明します。
空気が目に見えないことや電話の電波が目に見えないことなど理解し易い部分から教えて、神様の愛の存在を教えると顔がピカピカと輝くように喜びました。
神様がいると知ったら、人間は喜ぶんだなと知る良い機会になりました。
しかし、人によっては世界の有様が幸せから程遠いことを引き合いに出して神様を罵るかもしれません。
ここで重要になってくるのが、人間側にも責任があるという部分です。
神様を拝むか悪魔を拝むかは人間側に委ねられています。
これまで私達は神社や仏閣に神様がいると習ってきました。
そして、石や木或いは金属を拝んできたはずです。
またはキリスト教に出会えたとしても、正しい教理を教えて貰えなかったはずです。
その現状を神様が見たら泣かないでしょうか。
悲しまないでしょうか。
我々は神様を悲しませてきたという現実を無視して、神様を罵るような真似は一切してはならない。
誰もがそう思うのではないでしょうか。
もうお気付きの通り、神様の心は理解できるものです。
もちろん一端ではありますが、目に見えない部分を理解すれば神様の心情は自ずと見えてきます。
世界は今、悪魔崇拝の過渡期を迎えています。
悪魔崇拝者は滅びに拍車が掛かり、毎日のようにニュースで暴利を貪る様が暴露されています。
この現状を見て、神様と悪魔の争いは神様に軍配が上がったと悟れると思います。
しかし、問題は過渡期だということ。
この荒波を乗り越えるには、人間の力だけでは到底不可能に見えます。
私はただの一庶民です。
もはや恐れを抱くしかない状況でありながら、神様に望みを抱くことができています。
それは私の身に起こる出来事に希望を見い出せるからです。
神様を愛する人を神様は絶対に放ってはおきません。
この事実は神様を厚く信頼して初めて得るものです。
当ブログは皆さんに神様を信じてもらいたい一心で更新しています。
神様から多くのものを頂いたからこそ、私の残り時間を費やす価値がここにあります。
言葉は神であると言われる所以がRAPTブログにたくさん詰まっています。
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(ヨハネによる福音書1章1〜5節)
初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は光を理解しなかった。
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真理を多く得ていくなら、理解できないものはどんどん無くなります。
故に、幸せを言語化できるようになっていきます。
全てを露わにしていくのが本物の宗教だと学びました。
ここに救いがあると自信を持って進言します。
そして、幸せの正体は今後もRAPTさんを通して紐解かれ続けます。
神様を喜ばせる人が真に尊いと言われる日が迫ってきました。
たくさんの人がその事実に気付き、そんな人に成りたいと願う健全な世界へと変化することを祈って締め括りたいと思います。
現実は地獄を見ているような世界だけれども、この現状に神様の意図があると分かって神様を慰める人に多くの人が名乗りを上げますように。